第43回日本周産期・新生児医学会学術集会 シンポジウム5
テーマ「障害を持つ子どもとその家族から 周産期・新生児医療へのメッセージ」
「どんな小さな命でも生きたいと願い生まれてくる」(抄録)
人工呼吸器をつけた子の親の会
会長 大塚 孝司
赤ちゃんがみな健康に生まれるわけではない。
赤ちゃんが、難病や障害を持って生まれるケースは、生命誕生の確率として避けては通れない事象である。自然界では自然淘汰される命であっても、人間の世界では医学という命を助けるための技術が発達し、生きることの可能性がもたらされた。小さな命の誕生は、どんな状態で生まれたとしても、周りの人たちに様々な影響を与えている。
病気や障害の判明する時期
医学が発達する以前は出産するまで分からなかったことが、現在では胎児やそれ以前の着床前、遺伝子レベルの段階まで可能となった。また、胎児の段階で病気や障害を治療し、無事出産させることが可能なケースもある。しかし、正常に生まれた場合でも、生まれた後の発育段階で症状が現れる場合もある。
病気や障害の赤ちゃんを持った親の不安
喜びであるはずの妊娠や誕生が一転して不幸のどん底に落とされる。親の心は不安で揺れ動く。赤ちゃんの状態を初めて告げられた時は、「頭の中は真っ白!」「なぜ自分の子が?」「自分(母親)のせい?(父親に原因があったとしても)」「何が悪かったんだろう?」「これからどうしたらいいの?」「自分の人生はどうなるの?」「舅・姑との関係」「世間体」「経済的問題」など様々なことが頭の中を駆け巡る。
生かすも殺すも医者次第
生まれてくる子どもや生まれたばかりの子どもに重大な病気や障害があった場合、医師からの話の持って行き方でその子の運命が決まってしまう。
医師から「おそらく数日の命」とか「もっても半年」、あるいは「病気・障害の子どもを育てていくことの大変さ」など、マイナスのイメージで、親に「どうしますか?」と判断をゆだねられれば結論は決まってしまう。「一生懸命生まれてきた命だから、一緒に頑張りましょう」と言ってもらえば、若い両親への大きな励ましになる。
赤ちゃんに対する意識
昔は「子どもは天からの授かりもの」とか「子どもは親を選んで生まれてくる」と言われていた。しかし、今は医療技術が発達し生まれる前に一部の病気や障害の有無が判明する。そのため、親が子どもを選んで生む時代になって行くような気がする。
社会の都合
現在、国の政策として医療費の抑制を命題に掲げている。その対策として障害者や高齢者等の医療費が標的となり、長期入院やリハビリが打ち切られる状況にある。そして回復の見込みがないとされる患者を「終末期の状態」とし、治療の打ち切りをしようとしている。新生児の場合も同様な方向にあるのか、最小限の治療のみを行う「看取りの医療」が取りざたされている。なんだか「病気・障害がある赤ちゃんは、医療費削減のため速やかに逝ってもらう」と言われているような気がしてならない。
冒頭でも述べたが病気や障害のある赤ちゃんは必ず生まれる。だからと言って、診断によって生まれてこないようにしたり、積極的治療の中止をしたりしても良いのだろうか?「生きる価値のある命」と「生きる価値のない命」など、命の選別をしても良いのだろうか?「命の質」を社会の都合で判断するような「優生思想」が見え隠れするような気がしてならない。どんな病気や障害を持っていても普通に暮らせる社会であってほしい。
サポート体制の充実
病気や障害の赤ちゃんが生まれても「大丈夫だよ!」といってくれる環境が必要である。短い命かもしれないが、生命力を信じ最善を尽くしてほしい。その結果として亡くなっても最善のことをなし終えた結果であり、皆に受け入れられることになる。生まれた命の看取りの方法を検討するよりも、その子が最大限輝いて生きることや、家族をサポートすることを真剣に考えてほしい。
親も成長する
親はどんな状態の子どもであっても「子どもを授かった」という運命は変えられない。たとえ短い命であっても、「親」としての自覚ができ、短い時間だからこそ子どもから命の大切さを学び、普通では出来ない経験が人としても成長させると思う。
子どもからのメッセージ
新生児に対する無駄な延命措置などないと思う。たとえ短い命であってもメッセージをもって生まれてくる。どんな小さな命でもかけがえの無いものであり、小さな体で小さな幸せを一生懸命運んでくる。本人は何も出来ないかもしれないが、生きることで周りの人を動かす力がある。この学会で私が話す機会が与えられたことも、息子が生まれ、生きてくれなかったら全く知らない世界のことであった。
命に対する思いは人それぞれ異なっていると思うが、どんな小さな命でも生きたいと願い生まれてくるのだから、大切にしてほしい。