2007年4月9日

厚生労働省医政局総務課
終末期医療の決定プロセスのあり方に関する検討会 御中

人工呼吸器をつけた子の親の会(バクバクの会)
会長 大塚 孝司

事務局 〒562-0013 大阪府箕面市坊島4-5-20
箕面マーケットパーク ヴィソラWEST1 2F
  みのお市民活動センター内
TEL&FAX 072-724-2007

 平素より、医療行政におきまして、大変お世話になっております。
 当会は、現在、全国に約300家族の正会員がおり、そのうち自宅で生活している子どもたちは200名ほどおります。また、そのうち、180名ほどが幼稚園・保育所、小・中・高等学校や大学、就労年齢者です。これまで、子どもたちの多くは、難病や事故により人工呼吸器を必要としていますが、人工呼吸器をパートナーに、それぞれの地域で様々な困難に直面しながらも、年齢に応じた当たり前の社会生活を送りたいと願い、道を切り拓いて来ました。
 現在、検討されている「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」の「たたき台」の内容をみますと、ガイドラインの制定により、今後世の中が重度障害や難病をもつ子どもたちの未来が否定されていく方向に進んでいくのではないかという大きな危惧を覚えます。そこで、ぜひ、私たちの意見をお伝えしたく、次に記すものです。
 意見募集の締め切りに間に合うように提出できませんでしたこと、また、意見募集の様式に添った書き方になっておりませんことをお詫びいたします。
 どうぞ、よろしくお願いいたします。

「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」(たたき台)について
(意 見)

人工呼吸器をつけた子の親の会(バクバクの会)
会長 大塚 孝司

2006年3月、富山県射水市民病院での人工呼吸器外し事件以来、メディアは終末期医療に関する報道合戦を繰り広げ、国は尊厳死法制化や終末期医療のガイドライン作成の動きを活発化させてきた。この問題も初めの頃は高齢者の問題として取り上げられていたようだが、同年7月には新生児や小児を対象とした終末期医療についてのガイドラインについても報道されるようになってきた。
 今回のガイドラインでは、「患者の意思決定を基本」とか「家族等の話から意思を推定し尊重」などと記されているが、これらが本当に患者にとって「最善の利益」となるのだろうか? さらに、何をもって「終末期」と判断されるのだろうか?

社会の都合?

 いま、国の政策により医療費抑制が命題に上げられている。その対策として障害者や難病患者等の医療費が標的となり、長期入院やリハビリが受けられない現状である。今回の「終末期医療に関するガイドライン(たたき台)」の公表は、私たちからみれば、回復の見込みがないとされる患者を「終末期の状態」とし、治療の打ち切りをしようとしているとしか感じられない。また、新生児の場合も同様な方向にあるのか、最小限の治療のみを行う「看取りの医療」が取りざたされている。なんだか「病気・障害がある赤ちゃんは、医療費削減のため速やかに逝ってもらう」と言われているような気がしてならない。
 マスコミは「尊厳死」という言葉を「死に方を自己選択・自己決定する」などと、さも「美しい死に方」のように報道することも多く、社会全体が「生きる価値のある命」と「生きる価値のない命」の選別に向かって行く恐れを強く感じる。病気や障害を理由に他者から「生きるに値しない命」と判断されるなど御免蒙る。

「終末期」の「延命」治療?

 「終末期」の過剰な延命治療として真っ先に取り上げられるのが、人工呼吸器の装着と経管栄養である。当会の子ども(バクバクっ子と呼ぶ)たちのほとんどは、病状や障害の回復の見込みは期待出来ず、日常的に人工呼吸器を必要とし、経管栄養をしている比率も高く、意思表示も明確でない状況も多々ある。
しかし、私達はそれらの状態を「終末期」とか「過剰な延命治療が施されている状態」とは捉えていない。眼鏡や車いすと同様に、人工呼吸器は自力での呼吸が困難な人達の肺に空気を送るための「補装具」であり、経管栄養は、食事や水分補給のひとつの形である。これらの器械や方法の活用によって、地域社会で普通に暮らすバクバクっ子は大勢おり、成人する若者も増加している。
 現在、厚生労働省では終末期医療に関する様々な研究班を立ち上げ、本人の意思確認が出来ない場合の人工呼吸器の装着や外すことの是非、経管栄養等の中止の是非などが検討されている。このことはバクバクっ子など、人工呼吸器使用者が呼吸器をつけて生きることや、重い意識障害があり自分の意思をうまく伝えられない人たちの、生きることを否定する方向に向わせることになるのではないか。
 また、終末期と判断された場合に、呼吸器を外すこと、栄養補給を止めることなどが検討されるようであるが、死が間近に迫っていると判断するならば、あえて呼吸器を外したり、栄養等を止めたりしてまで死期を早めずに、そのまま看取ればよいのではないか。

最期まで人間として生き抜くために

呼吸器をつけた子どもたちとの生活を通して言えることは、この子たちは、どんな重い障害や病気があっても決して生きることを諦めていないということである。生きて生きて生き抜くことで、わずかな未来にも希望を抱いて生きることの大切さや、いのちの重さ、大切さを社会に問いかけ、生きることの素晴らしさを教えてくれてきた。それは、生きることが粗末にされない社会であって欲しいと願う子どもたちの心からの叫びである。
最近の「延命治療」問題に関するアンケートでは、自分には「不要」だが、家族には「希望」するという傾向がある。これは、本人の「家族には負担・迷惑をかけたくない(経済的にも人的にも)」との思いが大きく、「家族には1秒でも長く生きていてほしい」との思いがあるためと思われる。
 「終末期医療」に関しては、社会の都合で死期を早めるのではなく、人間を「人間」として尊重し、本人も家族も納得できる、「最期まで生きぬくための医療」を行なう政策が形成されることを望む。