幼稚園死闘編③「入園前の長い冬①」

 自主通園を楽しむ息子
 自主通園を楽しむ息子

ここからは時系列で記述してみる。

 

11/6願書提出。

 

11/12妻によると私が出勤した後の9時前に幼稚園の園長から電話があった。15時から入園に関して話がしたいとの申し出であった。こちらの予定を確認することなく一方的な連絡だった。こういう突然の呼び出しにも応じられないようでは、とうてい幼稚園に入園なんて無理ですよ、というわけだそうだ。妻はすぐにバクバクの会の副会長と支部幹事に連絡を取り、相談をしてから、15時に幼稚園へ息子と出向いた。幼稚園では自主通園(交流保育)を勧められる。また看護師配置できないため親の付き添いが確実に必要となるだろうから、入園までに試しに母子ともに耐えられるかどうか、園の見学(試し通園)を提案される。

 

11/13妻と息子で幼稚園見学。

 

11/14妻と息子で幼稚園見学。避難訓練体験。このとき、園長から非常事態ではほかの園児も守らないといけないので、あなたのお子さんに割ける人員はいない。お母さん一人でお子さんを守るのですよ、と言われたそうだ。市教育委員会主事と面談。

 

11/15息子の病院受診。私も休みだったので3人で幼稚園へ行く。少しの時間ではあったが、幼稚園入園志望の理由として、地域の中で同世代の子どもと共に育ってほしいという両親の想いを伝える。そこで、もし交流保育からスタートしても途中から正式入園に移行することも可能かもしれないという甘言を囁かれ、正直、それでスムーズにいくならそれも選択肢の一つなのか、とも思ってしまった。

 

11/17父所用のため妻と息子とヘルパーさん。広島市の就学を考えるおしゃべり会に初参加。現段階の状況を説明しそれに対して、「そこまで話しているなら正式入園でいいのでは?」とのご意見をいただく。その後、家族で話し合い交流保育に満足するのではなく、4月からの正式入園をめざすことで意思統一する。

 

このときまで息子は、その体力面を考慮して連続で外出したことはなかったのだが、よくがんばったと思う。大人の事情で緊迫した場面の連続でさぞ緊張もしたことだろうとも思う。自分を取り巻く社会の壁がいかに高いかも感じてくれたと思う。我が家では息子に関する話し合いには、必ず本人を同席させることにしている。それは取りも直さず息子の人生に関わることを、息子抜きで決めることはできないと考えているからだ。

 

この後、さらに年内に4回幼稚園見学。

 

この間、こちらの想いをなんとか揺らがせようとしてか、再々行われる園長や教育委員会との面談ではかなり差別的なことを言われ続けたと妻は言う。たとえば、「幼稚園の2年間に健常児はものすごい成長を遂げる。その間、あなたのお子さんはおそらくほとんど成長はできないだろう。周りのお子さんからどんどん置いて行かれるお子さんを見て、お母さん、あなた、耐えられますか?」や「これはお母さん一人の考えじゃないんですか?お父さんも同じ意見ですか?お父さんのお考えも聞いてからでないと判断できませんね」など、帰宅して妻から聞かされた私は怒りがふつふつしていたことを覚えている。

 

そして、幼稚園入園について越年交渉が決定した。