幼稚園死闘編⑨「交流ではなく直流で」

幼稚園に通い始めて、息子の付き添いにも慣れてくると、教育委員会とのプレ教育相談があった。内容は小学校はどうするのか?というものであった。

 

我が家としては、地域の学校の普通級ですとのみ伝えていたが、その点に納得いかないようで、「支援学校なら息子さんに合った教育をうけられます」であるとか、「支援学級では交流があります」と説得された。その子に合った教育と言うなら、私にも施してもらいたかったし、よしんば支援学校でそれができるのであれば、なぜ地域の学校でできないのだろうか?とも思った。

 

通学にも問題があった。地域の小学校なら歩いて通えるのに、支援学校へ通うには車で40分以上かかる。そして、息子のような呼吸器ユーザーは通学バスに乗せてもらえない。このような差別的取り扱いを受けて、結局は保護者の送り迎えとならざるを得ない。通学に不安があり、地域とも分断される。

 

そして、交流ということをよく言われるが、交流のそもそもの意味は次のようになっている。

 

こう りゅう かうりう [0] 【交流】

( 名 ) スル

① 異なる地域・組織・系統に属する人や文物が互いに行き来すること。 「東西文化が-する」 「人事-」

三省堂大辞林より引用

 

言葉の中にすでに異なるものと言う定義づけがなされている。私がこの言葉にこだわるのは小学生時代の体験がもとになっている。

 

私の通っていた小学校の近くに当時はろう学校といっていた支援学校があり、小学校の一角に一時養護学校もあった。だいたい1年に1回程度○○交流という名の集いがあったが、普段は分けられていて実際いつも付き合っているわけでなく、どう接して良いのか、わからなかった記憶がある。あくまでもよその学校からのお客さん程度の認識でしかなかった。

 

かたや私のクラスの中には自閉症の子がいたが、彼の特性はクラスのみんなが知っていた。何をしたら嫌がるか、どうすればお互いの思いが伝えられるのか、毎日の学校生活の中で少しづつ理解していった。障害があっても当たり前に一緒に育って行ったという体験をした。だから私は「交流もできますよ」と言われたときには「直流でいいです」と答えている。

 

実際にかかわって、付き合うことなしに社会のバリアはなくならない。そして一度分断された地域とのつながりを作るには、子どもの頃の何倍ものエネルギーが必要だと思う。なにより地域とは、生活の基盤であり故郷でありバックボーンだと思っている。それをズタズタにはしてほしくないし、させない。その子に合った教育と言うならその生活範囲を含めて言ってもらいたい。そう思わずにはいられない。